2019.07.07 00:00 更新
2019.07.07 取材
学生の頃の思い出を、たまに取り出しては眺めてみることがあります。
小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、そして、大学生の頃。それぞれに違った色があって、違う温度の風が吹いていて、共通しているのは、もう戻ることはできないのだという事実だけ。それでも、かなしいとかさみしいと思ったことはありません。
きっと、私にとっては通過点にしか過ぎなかったのだと思います。
こんにちは。札幌でゆったりとした5月を過ごしている、旅する書評家・北村です。
本屋大賞が発表されると、ひとまずそのラインナップを確認せずにはいられません。その中でも目を引いたのは、やはり瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」でしょう。さっそく買いに行こうと向かった書店では、受賞を機に特設コーナーが展開されていました。
「そして、バトンは渡された」以外にも並んだ、瀬尾まいこさんの過去作品。好奇心で一通り眺めてみて、ふと、受賞作ではない他の作品を読んでみたくなったのです。あえて受賞作ではないものを手にとってみる、天の邪鬼としかいえませんね。
そうやって読んでみたのが、瀬尾まいこさんの「図書館の神様」です。図書館は好きです、大好きです。そんな図書館にひそむ神様って、何のことなのか。覗いてみたい気持ちに、抗うことができませんでした。
図書館の神様 著者:瀬尾まいこ 2009年7月8日発売(240ページ) 定価:540円(税込) 判型/仕様:文庫本 ISBN:978-4480426260 |
臨時教員としてとある高校に配属された主人公・清。古風な名前とは打って変わり、学生時代はバレーボールに明け暮れ、現在は妻子持ちの男性と切れない関係を続けてしまっている、奔放な面も併せ持っています。
バレーボール部で起こったとある事件をずっとずっと胸に秘めており、そのせいで長らく運動そのものから遠ざかっていた清。ですが、新しく高校に配属されたことを機に、運動部の顧問になることを望みます。
少しでもリハビリになるように、昔の暗い思い出を塗り替えるために……そう密かに願っていましたが、蓋を開けてみれば、担当につかされたのは文芸部の顧問でした。
せめて運動系の部活に変えてくれるよう志願しますが、希望は叶わず。しぶしぶ向かった図書室で、唯一の文芸部部員・垣内くんと出会います。
最初は積極的に活動する気になれなかった清ですが、懸命に文学に打ち込む垣内くんの姿を見、ともに作品の話をしているうちに、どんどんのめり込んでいくように。最後には、文芸部の存続について話し合う教師たちの間で、こんなことまで進言するようになっていました。
図書室で熱心に本のページを繰る垣内くん、背も高く手足も長く、さぞスポーツをさせたら活躍するだろう彼が、「好きだから」という理由だけで文学にハマっている様子。そのすべてが、清の心を変えていきました。
物語の終盤では、曖昧だった妻子持ちの彼ときっぱり別れを告げ、暗い思い出にも新たな気持で向き合えるように。図書館に潜んでいた神様は、垣内くんその人だったのかもしれません。
短い間、けれども濃密な時間をともに過ごした清と垣内くん。ですが、卒業のときはやってきます。垣内くんが最後にどんな言葉を清にかけたのか、2人の別れがどんなものであったのかは作品に委ねることにして、ここでは、「学生時代は果たして通過点に過ぎないのか?」ということについてお話したいと思います。
学生時代。それぞれの方が、それぞれの思い出を持っていることでしょう。それには、楽しいもの、甘いものもあれば、ちょっと悲しくて寂しくて苦いようなもの、もう決して取り出したくもないようなものまで、さまざまあると思います。
どんな味だったにせよ、決して学生時代という過去に固執することなく、前に向き直るきっかけ・薬にすることができれば、私たちの人生はもっと豊かになるのではないでしょうか。
「あの頃に戻りたい」
そんな言葉を耳にするたびに、私は少しだけ、立ち止まって考えてみたくなるのです。果たして、昔は本当に「よかった」のか。あの頃に戻れたら、本当に「しあわせ」なのか。
良い意味でも悪い意味でも、過去は通過点でしかありません。大切なのは今、目の前の出来事。過去を思い返すのに使った分の時間は、決して返ってきてはくれません。
作中では描かれていませんが、きっと、大人になった垣内くんも、それを知っていたのではないでしょうか。私には、そう思えてなりませんでした。
過去にとらわれて抜け出せない瞬間が訪れたら、ぜひあなたにも、「図書館の神様」に出会ってほしいと思います。
北村有(きたむら・ゆう) 国内一人旅と読書が趣味なフリーライター・旅する書評家。 ブログ:https://kitayu.net Twitter:https://twitter.com/yuu_uu_ |
文: フリーライター・旅する書評家 北村 有