原宿時代
今も記憶に残る少年時代の誕生日プレゼントは「中華鍋」。一時期、料理人を目指していたというササキチは「X JAPAN」に出会い、アーティストの道へ方向転換。自身の誕生日が命日というhide氏を崇拝するあまり、今のスタイルに。毎年5月2日には墓前に活動(および反省)報告を欠かさないという。
- 編集部
学生時代から秋葉原には頻繁に来ていたそうですが、卒業後、直ぐにアキバで活動を始めたのですか。
- ササキチ氏
いえ、実は高校卒業後、俳優養成所に入っていた事があります。といっても俳優ではなく、ミュージシャン志望。でもしゃべりが得意だったため、役者向きだと言われました。元々はすぐに緊張するタイプで、大事なときにお腹が痛くなる。でも養成所での経験からそれは克服できました。
- 編集部
(失礼ながら)人は見かけによらないものです。ではその後、アキバデビューを?
- ササキチ氏
実は活動の拠点は「原宿」でした。ファッションにも興味を持っていたので、約10年ほど前にリメイク服やアクセサリーのブランドを立ち上げました。みんなとは違う洋服がコンセプトで、後にアクセサリーをよく売りました。
- 編集部
そうなると、その当時、秋葉原からは距離があったワケですね。
- ササキチ氏
いえ、活動拠点は原宿ですが、趣味は秋葉原でした。決して関わりが途切れた事はありません。しばらく「原宿の時代」が続きましたが、時代はファストファッションの台頭で個性が無くなり、つまらなく感じるように。すると縁があって、秋葉原の「ラジオ会館」地下のレンタルボックスでアクセサリーを売り始めたところ、コレがよく売れる。そこで、原宿からは完全撤退。秋葉原に本格的に活動拠点を移すことになりました。
- 編集部
いよいよ「秋葉原時代」到来ですね。
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見かけによらず器用なササキチ。すべて独学により、10年で約3,000個の一点物アクセサリーを作ったという。今でも「ユザワヤ」に出向き、使えそうな素材や材料を”適当に”買い集め、自宅1階の作業場で製作に励む事があるという |
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最新情報は「CoreRare」をチェックしてみよう。ニコ生などの配信業務、イベント運営、MCなど、ササキチの活動が多数告知されている |