2022.12.30 09:39 更新
2022.12.30 取材
秋葉原地区で参拝できる、初詣スポット。短期特集その3は、「存在その物は知っているけど名前は知らない」という人がほとんであろう講武稲荷神社。これを機に、その成り立ちや御利益をお勉強しましょう。
どうしてもとんかつ店「丸五」に目が行ってしまうのは仕方がないとして、その向かいにある講武稲荷神社の朱色の鳥居やぐるりを囲む玉垣の存在感。初詣スポットとはやや印象が異なりますが、アキバ詣のついでにお参りができるスポットとしてご紹介しましょう。
住友不動産秋葉原ファーストビル・テラスの裏に佇む講武稲荷神社。進入禁止の道路標識がなんとも景観を損ねているのが残念 |
ここは千石電商や秋月電子が並ぶ通りの裏手に位置する稲荷神社で、境内に掲げられた「講武稲荷神社縁起由来(町会所有)」を要約すると、1857年(安政4年)に神田旅篭町3丁目に創建。ご神体は日本神話に登場する穀物の神様(女神)、宇迦之御魂命(ウカノミタマ)と言われています。
外神田旅籠町会による縁起由来。ここに場所を移した5月22日を大祭日としている | 昭和46年に鉄筋建築の2階へ本殿を新築。実は2階建てなのです |
もともとは防火・延焼目的の火除地(いわゆる空き地)が、その機能を損なわない程度に娯楽利用が認められるようになり、講武所(江戸幕府が幕末に設営した武芸訓練機関)を開設。のちに大貫伝兵衛なる人物が、講武所附属地の払い下げを出願。浅草橋・長昌寺の稲荷者に払い下げ成就を祈願し、無事願いが叶ったことから感謝の意を込めて講武稲荷神社を作ったとのこと。
ちなみに幕末から明治にかけて外神田2~3丁目界隈は花街だったそうで、約90名ほどの芸妓さんがいたそうです。外神田2丁目と言えば、現在の神田明神周辺で、外神田3丁目は区立昌平小学校や自作PCパーツ店が軒を連ねるあたり。狭い路地が多いこの地区をかつての賑わいを想像しながら散策すれば、これまでとは違う古の花街・秋葉原を感じる事ができるかもしれません。
狭い境内には神様の眷属であるキツネが鎮座しています |
そんな謂れの講武稲荷神社は再三の火災に遭い、果ては東京大空襲で焼失。昭和46年に鉄筋建築となり現在に至るというわけです。なお御利益は商売繁盛、五穀豊穣、火防守護。敷地はご覧の通りで、御朱印や授与所などの用意はありません。
かつては目の前にヤマギワリビナ本館(2010年8月閉店)があった場所。講武稲荷神社は変わりゆく外神田1丁目地区を静かに見守り続けるのでありました |
文: 編集部 松枝 清顕/取材・撮影:街ネタ担当アキバ取材班ウエムラ